Storyストーリー
カンザス州の田舎町ハッチンソン。1981年の夏、リトルリーグのチームメイトである8歳の少年ブライアン(ブラディ・コーベット)とニール(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は、常習的に幼い子供への性加害を行なっていた一人の<コーチ>によって大きく人生を狂わされる。精神的なショックから自分の身に起きたことを忘れてしまったブライアンは、やがて宇宙人に誘拐されたために記憶を失ったのだと思い込むように。一方、<コーチ>と8歳の自分の間にあったものは「愛」だと信じるニールは、彼の影を追い求めて年上の男たちを相手に体を売りながら生きていく道を選んだ。「空白の記憶」から10年、ブライアンが真実を取り戻そうとするうち、手がかりとして浮かび上がってきたのは繰り返し夢に現れる一人の少年。そして、その少年がニールであることをついに突き止めたブライアンだったが……。
Akira the Hustler
アーティスト
「ともだち」は「他の誰よりも君が愛するべきは君自身の全存在のことだよ」と、頬や鼻がつぶれるくらいにあなたの顔を強く抱き寄せて、耳元で囁いてくれる人のことだろう。画面に映るふたりを固唾を飲んで祈るように見つめながらテレパシーを送れたらと願った。大人達は誰もそれを教えてくれないから、特にクィアや幼きもの達には。
朝井リョウ
小説家
彼らは今、笑顔で暮らしているのだろうか。
あのラストカットから20年が過ぎた世界を、どう歩いているのだろうか。
鑑賞後からずっと、エンドロールを終えた二人の道程を想像してしまう。
それはきっと、過去に蹂躙されるだけでない未来を、私自身が求めているからだと思う。
アユニ・D
ミュージシャン
この世に産み落とされた私たちは「知らないことを知る」という経験で人格がつくられていく。
色んなものが溢れすぎているこの世界で自ら未知を探ることは勇気がいるけれど、
その先で自分の本音と合致する言葉や存在と出会えた時に生きる目的がきっと増える。
絶望は希望には敵わない。だから私たちは欲望に駆られるのをやめられない。
くたばってられないやって思わされた作品でした。
ISO
ライター
“魂の殺人”で壊された心を守るため、トラウマから逃れるため、2人の少年が行使せざるを得なかった自衛手段の悲痛さにただ打ちのめされる。
共感したなんて言葉は軽々しく言えない。でもどうにかして彼らのような人の味方でありたい。そのために何ができるのか考え続けようと思う。
伊藤亜和
文筆家
同じ場所で心をさらわれてしまった2人の少年。一方はそこに愛を見出しさまよい、そしてもう一方は、失った自分の一部に呼ばれるように真実を求める。どちらも目をそむけたくなるほど痛々しい。強くつけられた傷が完全に塞がることはない。たとえ同じナイフだとしても流れる血はふたつと同じではなく、完全に分かち合えない苦しみがまた傷を撫でる。
今西洋介
小児科医・新生児科医
男の子の性被害の実態がリアルに描かれ、普段小児性被害を受けた子ども達を診療する自分にとってはまるでドキュメンタリー映画を見ているような感覚に陥りました。日本では2017年の刑法改正により膣性交だけでなく、肛門性交や口腔性交も処罰の対象となりました。逆を返せば、男児の性被害は「無いもの」として扱われてきたのです。この映画をきっかけに性被害を受けた男児への支援が拡大される事を望みます。
売野機子
漫画家
解かねばならない人生の謎を確信してしまった時、不幸を感じるヒマもない。
自分の体が答えのあるであろう方へ、取り憑かれたように突き進んでいく経験を私たちは知っている。
君たちの痛みが分かる、しかし何も言わない無数の"天使"たちが、スクリーンの前にいるだろう。
そして君たちに、"テレパシー"を送る。
Orono
SUPERORGANISM
この映画がこんなに美しくなければよかったのに。
決して楽しく観られる作品ではない。
でも、この体験と、それが俺に問いかけた数々の疑問には感謝している。
「俺のトラウマはどこに隠したんだっけ?そもそもそれと何をしてきた?
お下がりで貰った苦しみから、自分を解放する力を俺は持っているのか?」
児玉美月
映画批評家
凄惨な被害によって、生涯癒えない心の傷を負ってしまったふたり。
ある者は記憶に甘美な糖衣をかけ、ある者は記憶を忘却の彼方へ封じる。
『ミステリアス・スキン』が作られてから20年あまりの時を経た今、今のわたしたちのほうがきっとこの映画に込められた真意をより切実に理解することができるだろう。
木原音瀬
小説家
無垢でいて仄かに残酷さの滲む子供の瞳に魅入られて一気に話の中に入り込み、彼らにおこることを苦々しく傍観していた。
心は暴力でねじ曲げられ、引き裂け、傷口は治らない。
そんな彼らの傷口が膿んでひりひりする痛々しい話だったけれど、最後はきっと乗り越えられるのではという希望が感じられた。
トミヤマユキコ
ライター・マンガ研究者
あまりにも不穏な1時間45分。
しかし、作中の少年ふたりは10年もの間、不穏の森を彷徨い、どうにか生き延びてきたことを忘れてはいけない。
傍観者でいることがこんなにもつらい映画は滅多にないが、だからこそ観る価値がある。
長畑宏明
STUDY Magazine
スキニーなタンクトップ姿がとにかく魅力的なニール。アヴリルのようなウェンディのロックスタイルも、ブライアンのG9とセーター、シャツのナードな合わせも、エレンのデニムジャケットも、本作のファッションは隅々まで輝いている。さらにスロウダイヴやシガーロスなど劇中に流れる楽曲も然り、この映画のあらゆる要素が甘く、幻想的で、美しい。が、当然それをそのまま受けとることはできない。その内側でいったい何が進行しているのか。彼らの「その後」が徐々に崩壊していく様を、あくまで淡々と日常的に描くという本作のアプローチが、事件の残酷さを際立たせていたように思う。中でもラストシーンは、観る者を深く暗い場所へ連れていってしまうだろう。
水上文
文筆家
性暴力を受けた子どもたちの「その後」を描くこの映画には、ポップなアイテムや空想によって彩られつつも至るところに痛みが滲んでいる。詩情にあふれた音楽と映像美が形作るのは、あまりに残酷なこの世界でそれでも生き延びようと手を取り合う子どもたちだ。直視し難いものまで直視する、このクィアな反骨精神と切実な祈りは、今こそ刻み直されなければならない。